数字を見続けてしまう心理は、弱さなのか。

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ブログやnoteを始めると、どうしても数字が気になってくる。
閲覧数、スキの数、フォロワー数。
最初は気にしないつもりでも、気づけば何度も確認している。

そして他人の記事にスキを押せば押すほど、
「なぜ自分の記事は読まれないのか」
そんな感情が静かに積み上がっていく。

これは特別なことではない。
むしろ、人間としてかなり自然な反応である。


数字を見ることは、悪いことではない

よく「数字に振り回されるな」と言われる。
確かに、数字に一喜一憂しすぎるのは疲れる。
しかし、だからといって数字を見ないほうがいいかというと、それも違う。

山に登るとき、現在地を確認するのは当たり前である。
地図も持たず、時間も気にせず、方角も分からないまま歩き続ける人はいない。

  • いつまでに登りたいのか
  • どこまで進めば満足なのか
  • そもそも登り続けること自体が目的なのか

人によって答えは違う。
だが、どの方針であっても「今どこにいるか」を知ること自体は必要である。

だから、数字を見ることそのものを否定する必要はない。


問題は「見続けてしまうこと」ではなく「基準がないこと」

本当に消耗するのは、数字を見ているからではない。
終わりのない確認を続けてしまうからである。

基準がないと、人は無限に不安になる。

たとえば、

  • 3か月に一度確認する
  • 記事を10本書いたら振り返る
  • 半年で方向性を見直す

こうした「定点観測」のルールを自分で決めておくだけで、負担はかなり軽くなる。

背負いすぎると疲れる。
しかし、何も背負わないと迷子になる。
その中間を作ることが、長く続けるための現実的な方法である。


それでも不安が消えないなら、別の問いを立てる

もし数字を見ても見なくても不安が続くなら、
一度立ち止まって別の問いを考えたほうがよい。

  • そもそも目標が無理筋なのか
  • 高望みをしているのか
  • 方向性がずれているのか

本来は登る前に考えるべきことかもしれない。
しかし、登り始めてから変えても問題はない。

人は、動きながらしか分からないことが多いからである。


数字は敵でも味方でもない

数字は冷たい。
だが、嘘はつかない。

現実感を与えてくるからこそ、時に迷惑に感じる。
しかし同時に、それは現在地を教えてくれる道具でもある。

数字に振り回される必要はない。
だが、無視する必要もない。

気が向いたときに確認する。
疲れたら少し離れる。
そしてまた歩き出す。

それくらいの距離感が、ちょうどよいのである。


※このテーマについては、もう少し踏み込んで
「数字と向き合う姿勢」や「継続との関係」を整理した内容をnoteでもまとめている。
興味があれば、そちらも参考にしてほしい。

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