なぜ今は誰でも炎上するのか?SNS時代に「有名人」という特別な立場が消えた理由

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最近は、特別有名でもない人が炎上している光景をよく見かける。

昔は炎上といえば芸能人や政治家、スポーツ選手など、いわゆる「公の人」だけの話だった。
テレビに出るような人が何か問題を起こせば批判される。
それ以外の人は、基本的には安全圏にいた。

ところが今は違う。

SNSを見ていると、フォロワーがそれほど多くない人でも炎上する。
むしろ「なぜこの人がここまで叩かれているのか」と感じる場面も少なくない。

この現象を見ると、多くの人はこう考える。

ネット社会は怖い。
誰でも叩かれる時代になった。

だが、もう少し冷静に考えると、別の見え方もできる。

誰でも炎上するようになったのではない。
誰でも評価される立場に立つようになっただけである。


人は「売っているもの」によって評価される

昔は、「公の人」と「私的な人」の境界線がはっきりしていた。

テレビに出る人は公の存在。
それ以外の人は私的な存在。

この線引きがあったからこそ、有名人は厳しく批判され、一般の人は守られていた。

そしてその仕組みは、それなりに合理的だった。

医者は医学を売り、芸能人は人格を売る

医者は医学を売っている。
建築士は設計技術を売っている。
政治家は判断力や責任を売っている。
芸能人は自分自身のイメージや人格を売っている。

人は、自分が提供している価値によって評価される。

これは昔から変わっていない。

医者が医学的に間違った治療をすれば批判される。
建築士が設計ミスをすれば責任を問われる。
芸能人が社会的に不適切な行動をすれば炎上する。

それは人格攻撃ではない。
商品に対する評価である。


SNSによって一般の人も「何かを売る存在」になった

では、何が変わったのか。

それは、SNSによって
一般の人も「何かを売る存在」になった
という点である。

フォロワー数が多いかどうかは本質ではない。
重要なのは、発信しているかどうかである。

発信した瞬間、人は「公の人」になる

SNSで発信するという行為は、自分の考えや価値観、生活や態度を公開するということだ。
それはつまり、自分自身をコンテンツとして差し出しているということでもある。

この瞬間、人は「私的な人」から「公の人」に変わる。

自覚があるかどうかは関係ない。


インフルエンサーは「個人メディアの運営者」である

ここでよく出てくるのが、「インフルエンサー」という存在である。

彼らは芸能人でも一般人でもない。
より正確に言えば、個人でメディアを運営している人に近い。

テレビ局が番組を作るように、
雑誌が記事を発行するように、
彼らは自分自身を媒体として活動している。

責任の基準は「立場」から「影響力」に変わった

昔はこうだった。

有名人だから責任が重い。

しかし今は違う。

影響力があるから責任が重い。

このルールに変わったのである。


一般人が上がったのでも、芸能人が下がったのでもない

一般の人が芸能人の位置まで上がったのか。
それとも芸能人が一般の人の位置まで下がったのか。

どちらでもない。

本当に起きたのは、

同じ場所に立つ人が増えた

という変化である。

発信する人は、すべて同じ土俵に立つ。
そして同じように評価される。

それがSNS時代の基本ルールである。


炎上とは「商品が疑われたとき」に起きる

炎上は理不尽に見えることもある。
だが、その多くは完全な偶然ではない。

そこには一つの基準がある。

その人が何を売っているのか。

能力を売っているのか。
信頼を売っているのか。
人格を売っているのか。

炎上とは、その商品が疑われたときに起きる現象である。


発信している限り、誰でも評価される側に立つ

ここまで読んで、「少し大げさではないか」と感じた人もいるかもしれない。

自分は芸能人でもないし、インフルエンサーでもない。
ただSNSを使っているだけだ、と。

だが現実には、プロフィールも投稿もすべてが看板になる。
そして看板は、いつか誰かに評価される。

それは怖い話ではない。

ただ、

発信には必ず意味が生まれる

というだけのことである。


次の記事のご案内

この話はもう少し踏み込むと、
「なぜ人は他人を叩くのか」
「なぜ謝罪が求められるのか」
「信頼はどこで壊れるのか」
といった問題にもつながっていく。

そこまで含めて整理したものを、次の記事でまとめている。

少し長くなるが、
SNS時代に発信するすべての人に関係する話だと思っている。

興味があれば、続きとしてこちらにおいてあるので読んでもらえれば幸いである。

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